オーストラリアのGDPは、1992年から連続してプラス成長を記録しています。

オーストラリアの政治体制

政体は立憲君主制

オーストラリアは、立憲君主制による議会制民主主義をとっており、
英国の国王をオーストラリア連邦および州の元首としています。
正確には英国の国王と同一人物がオーストラリア国王も兼任している形です。

 

国家元首はエリザベス2世女王ですが、連邦総督が王権を代行しています。

 

連邦総督の権限のうち、行政権については、「憲政上の慣習」に基づき、
下院で過半数を獲得した与党党首が首相となって内閣を組閣し、
英国と同様の議院内閣制を基本とした議会制民主政治の形態をとっています。

 

英国と違い、米国の様に憲法により連邦が立法する権限を持つが、
その範囲は、外交、国防、通商、通貨、租税等の分野に限定されており、
その他は、各州の権限となっている。

 

Phouse

 

議会は二院制

オーストラリアの国会は、日本や米国の様に二院制であり、
上院(定員76、任期6年)及び、下院(定員150、任期3年)の全ての議員は、
選挙による直接投票で選ばれます。

 

オーストラリアの政治形態は、連邦、州、地方自治体の三層構造をとっている。
連邦政府と州政府の立場関係は、日本の国と都道府県の関係よりも、
より対等な関係にあるので、米国の州制度の様な自立性の高い連邦制度と言える。

 

オーストラリアでユニークなのは、その選挙制度で全ての国民に投票が義務づけられている。
18歳以上の市民権保有者は、正当な理由なく投票に行かない場合は、罰金が課せられる。
その為、投票率が常に90パーセント以上となっています。

 

Phouse

 

保守党と労働党の二大政党が政治の中心

連邦議会は、保守連合(自由党と国民党)労働党のほぼ二大政党制と言えます。

 

近年のオーストラリアの政治の流れを追っていきましょう。

 

1980年代に、世界的な経済不況の影響もあり、失業率やインフレ率が、
10%を超え、自由党のフレーザー政権が敗北した。

 

1984年に、労働党のホーク政権が発足した。

 

1991年に、労働党の首相選挙において、ポール・キーティング候補が
ホーク首相に代わり首相となった。
キーティング首相は、英国の衛星国という立場から、アジアの一員という
国家アイデンティティーを目指し
て、エリザベス女王を君主と仰ぐ、立憲君主制から
大統領制による共和制を模索し始め、共和制の是非を問う国民投票を行ったが、
僅差で廃案となった。

 

1996年に、労働党が総選挙で敗れ、保守連合(自由・国民党)政権が成立し、
ジョン・ハワードが新首相となった。

 

1998年に、総選挙が行われたが、引き続き保守連合の勝利でハワード政権が継続した。

 

2007年の11月に、約10年ぶりに労働党が総選挙で勝利し、政権の座に就きました。
ケビン・ラッド政権が発足し、2010年には女性のジュリア・ギラード政権が首相になりました。

 

2013年には、再びケビン・ラッド首相に交代しましたが、その年の総選挙で、
保守連合のトニー・アボット自由党党首が、政権を奪還し、6年ぶりの政権交代となった。

 

2015年9月より、同じ自由党のマルコム・ターンブル首相が在任中。

 

Phouse


永住権やビザの取得方法 仕事に関して 移住先選び 現地の生活 豪州の概要